彼はすべての死者を葬った:ウクライナの「魂の収集者」の最後の回収

土曜日、キーウの聖ヴォロディームィル大聖堂には、オレクシー・ユコフ氏のための正教会の追悼式に数千人が集まった。棺はその後、マイダン広場まで運ばれ、参列者たちは棺が通り過ぎる際にひざまずいた。追悼式はウクライナの他の都市でも開かれた。ユコフ氏は40歳だった。彼は軍人でもなく、聖職者でもなかった。彼は野原や森、廃墟に足を踏み入れ、死者を一人残らず、ロシア兵も含めて運び出す男だった。

彼は戦争に引き裂かれた地域、ドンバスの出身で、武道を教えることで生計を立てていた。2014年、最初の戦争が故郷に及んだとき、彼は橋頭堡を意味するウクライナ語の名を持つ団体プラツダルムを、死者には誰にでも墓が必要だというただ一つの信念に基づいて設立した。彼は10代の頃、第二次世界大戦で命を落としたソ連兵とロシア兵の戦時墓地に偶然出会ったことをきっかけにこの活動を始めており、その後も決してやめることはなかった。20年以上にわたり、彼はこの国で最もよく知られた戦没者収容者となり、共に活動したボランティアたちからは「魂の収集者」と呼ばれていた。

この活動は、言葉で説明するのは簡単だが、実行はほとんど不可能に近い。ボランティアのチームは、地雷が埋められ、砲撃され、ドローンに見張られた土地を歩き、戦闘が残したもの、兵士も民間人も、ウクライナ人もロシア人も運び帰す。ウクライナの大半の人々はロシア兵の遺体に触れようとせず、侵略者の死者は朽ちるに任せるべきだと主張する人も多い。ユコフ氏はこれに反対し、その考えを公の場でも述べていた。彼は、遺体を収容することこそ、国が一人ひとりの魂のために戦う方法であり、死者は自分がどちらの側で死ぬかを選べず、埋葬こそが社会を人間らしく保つのだと主張した。彼はこの活動を、いつ命が絶たれてもおかしくない野原や林帯、廃墟で毎日行われる行動だと表現した。彼は、すべてが自分に逆風だったが、すべての魂が家に帰れるように、それでも自分は出かけて行ったと書き残している。

彼は、その土地の代償を、ほとんど誰よりもよく知っていた。2022年、地雷の爆発で片目を失い、脚にも重傷を負って数か月の回復を要した。それでも彼は前線の土地に戻り、その土地が彼を奪うまで活動を続けていた。8月5日、ドネツク州での収容活動中に地雷を踏み、命を落とした。

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妻は涙ながらに、死者のため、そして彼のために、活動を続けると約束した。娘は、彼は死者に仕え、生者の世話をしてきたと語った。プラツダルムのボランティアたちは活動を続けるだろう。この組織が創設者よりも長く生き続けるのは、その必要性が彼よりも長く続くからだ。戦争は今や5年目に入り、前線には両軍が敷設した地雷が密集し、遺体袋を携えてその土地を歩く人々にとって、土地は安全になっていない。

彼の死に方には、恐ろしいほどの対称性がある。兵士を殺す兵器が、彼らを収容しに来た男を殺したのだ。戦争は、その死者を埋葬するという仕事自体が前線の仕事となる地点に達しており、遺体収容者たちは、彼らが迎えに来た兵士たちと同じ野原で命を落としている。

ドネツク州のどこかに、地雷がまだ待ち構えている土地がある。プラツダルムの男女はそこへ戻るだろう。それが彼ならばしたであろうことだからだ。そして、魂の収集者が受け入れたであろう唯一の追悼の形は、彼が生涯をかけて勝ち取ってきたもの、すなわち死者が一人また一人と、土地がどんな代償を要求しようとも、なお故郷へ帰り続けることだからだ。

雅子 訳

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